2007/3/7(Wed)
* ありがとうね。

 

おばあちゃんのお別れに行ってきました。
97歳の旅立ちでした。

自分の家で家族が傍にいる「いつもの時間」に
眠りながら逝ってしまったこと・・
病気で苦しむことなく「老衰」の大往生だったことが
見送るものにはせめてもの・・心の救いでした・・。

夫の祖母・・おばあちゃんは
息子夫婦(夫の叔父夫婦)と暮らしていました。
50年間 嫁である叔母はおばあちゃんと一緒に暮らしたそうです。
ここ2,3年叔母の介護はだれもが頭の下がるものでした。
亡くなってしまった今・・
叔母は本当に寂しそうに
「私の仕事がなくなってしまったよ・・」と肩を落として
いろんな話をしてくれました。

その叔母の言葉一つ一つが温かくて
おばあちゃんと叔母の時間を分けてもらってきました。


最期に水を飲みたいというから飲ましてあげたらね・・
ごくごくごくごく飲んだんよ・・いつもはそんなに飲まないのにね・・
それが最期になってしまったぁ・・
お正月はね・・お餅が食べたいとおばあちゃんが言うから
小さく小さくして最後は噛み砕いて口に入れてやったよ・・
もうね・・赤ちゃんにあげるようなものよ・・
下のお世話も慣れてしまえばなんともないんよ・・
夜はなかなか寝ないから添い寝をしてあげて
眠ったらベッドから降りるんやけれど
時々一緒にふたりで朝まで寝込んでしまってたりしてね・・・
昨日もちょっと音が聞こえたらおばあちゃんが呼んでるようで
自然にカラダが動いてしまうよ・・・亡くなったのにね・・
最後の最後まで(認知症になってからも)
私がご飯食べさせてあげたり・・何かをしてあげたら
必ず「ありがとう・・ね」って言う人だったぁ・・
「ありがとうね・・」「ありがとうね・・」って・・。


うんうん・・。
うなづきながら・・おばあちゃんやって・・思う。

息子や娘や・・嫁や・・みんなの名前があやふやになっても
ありがとう・・は忘れないなんてね・・。

孫の嫁である私さえ おばあちゃんに魅了されていたから
おばあちゃんは
きっと普段から人を思いやる気持ちいっぱいの人だった・・・
かわいい人だった・・



人生の最期に「ひと」がでるのだとしたら
おばあちゃんのようになりたい。

ありがとう・・の言葉と一緒に
感謝することを忘れずにいたい・・

ありがとう・・を
自然にいつも口から出る人生を送っていたい・・。




お葬式のご挨拶で 喪主である叔父は
「妻が本当に献身的に母を介護をしてくれ・・・」
この言葉を表にだし叔母を称えていて
この瞬間もじーんとくる。

じんわりとした
ここ最近味わったことのない人の本当の温もり
おばあちゃんに・・
叔父に・・
そして・・叔母に・・
いろんなことを教えられてる

おばあちゃんが最後に残してくれたもの
両手で確実に
しっかりと受け止めて
わたしは
繫いでいこう。





夫の目から涙があふれてた。
はじめてみたかも。


おばあちゃん・・。
ありがとう・・。
安らかに・・安心して・・おやすみください。
大丈夫だからね・・。

ありがとう・・・ね。



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* Memories v2.0409 *