(二)京料理
京都に行ったのだから・・いつものカフェごはんや・・一般的なレストランでなく
「京料理」をいただこうとピックアップしてあったお料理屋さんがあった
ヒールはいた足がちょっと痛くなってきた頃そのお店発見・・・
でも・・・???あれ・・・・
「休み・・???」「定休日・・・????」
( ̄▽ ̄;)!!ガーン
何度も重ねている二人の旅・・・初めての出来事・・・・
そうだ! 世の中には「定休日」と言うものがあったことを知る(爆)
「どっちか調べとけよ〜〜〜」(笑)
「私たちを前に休み〜〜????」(笑)
ということで・・・ちょっとそのあたりを歩いて見つけたお店に急遽予定変更・・・
一軒のお店なのに入り口二つあり・・・
????(笑)
恐る恐る・・・ひとつの入り口へ・・。
「ますかけ家」さんの入り口から入った・・・
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/horihiro/index.html
予約が必要なお店だったけれど・・飛び入りのわたしたちを快く招いてくださった・・
大人数さんやご家族連れのお部屋でいただくお料理は「ますかけ家」さんで・・
個人のちょっとしたお弁当は私たちが入らなかった入り口「ふせ乃 泰庵」さんという方でいただくらしい・・
まぁ・・どっちゃでもいいねんけど・・・(笑)
ますかけ家さんから入ったものの・・帰りの時は「ゴールド&シルバー」(後の項:参照・・(爆))を
「ふせ乃 泰庵」さんにまわしてくださってこの出口から出てきた・・・
かこぉ〜この「泰庵さん」調べてみたら夜のお料理らしい・・・
お昼間にあのスペースを開放してくださったのは・・・・ありがたや・・?(笑)
やっぱりある意味・・すごいなぁ・・ワタシタチ・・・・(爆)
頂いたお食事は「十石船弁当」プラスビール・・(*^^*)po・・*
京都勉強そのB
「三十石船」とは本来米三十石相当の積載能力を持った船のことで・・
江戸時代 京の伏見と大坂の八軒家(現:天満橋から天神橋までの大川の左岸)の
間の淀川を上下していたそうな・・天保十年(1839年)には171艘もあったとそうで
1艘の船には28人の旅客が乗り乗組員数人で運行していたという・・
京・大坂間の所要時間は上りで1日または1晩、下りでその半分だったという・・・・
上りで1日・・?? 今じゃ・・40分ぐらいで行くよなぁ・・・(*^^*)pupu...pu♪
のんびりと・・と思うがその時代の人は「のんびり」とは感じていなかったんだろうなぁ・・・
ただ・・今の時代の人より 足元の大事なもの・・目に出来ていたのかもしれないなぁ・・
(三)寺田屋
お食事いただいて ぶらぶら歩いているとかこが叫んだ・・
「寺田屋〜〜〜♪」
そう・・・今回の一番のメイン・・・「寺田屋」みつけた雄たけび・・(爆)
坂本龍馬の大ファンの彼女は龍馬に縁ある場所はすべて制覇していたらしいが唯一残っている場所がここ寺田屋だったらしい・・
自慢できるほど白紙状態のわたしに・・・
「Tammy 行くまでに勉強しといでや♪」と宿題を出されてた( ̄_ ̄|||)ゲッ・・ ・・・
前日の夜 夫に・・・「寺田屋って・・?」と寺田屋レクチャー受けた
歴史好きな夫の家系・・・
義父と夫はこの場所をふたりで訪れたことがあるらしい・・・
くわし〜説明してくれるが・・
そんなもん・・一夜でこの年老いたアタマにはいるはずもなく〜〜〜(*^^*)pupu...pu♪
いいや・・・わたしはまっさらでいこう〜〜♪ ←お得意の開き直り・・・・
だから・・ここにも詳しいことは書かない・・・
もとい・・書けない・・・(*^^*)pupu...pu♪
この項・・・かこのページ参照・・・(爆)
平成の代にして この場所は時間が止まったようだった・・・
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