V ■舞鶴引揚記念館・舞鶴引揚記念館公園 引揚・・なんて言葉を理解できるのはわたしたち世代が終わりのころじゃないかと思う 子供たちの世代にはもう・・紙切れ上の歴史の中の1ページにしか過ぎないだろうな・・ わたしさえ・・子供のころ聴いた「岸壁の母」がなければこの町のことを知らなかったかもしれない 舞鶴は明治・大正・昭和と国の重要拠点に位置づけられ海軍の町として発展したそうな・・ 戦争が終結すると 旧ソ連・中国からの引揚者を約66万人もの人がこの港へ帰ってきたらしい・・ この場所に立つと・・穏やかに水湛える海と青い空と・・故郷の優しい山が迎えてくれるようで 「日本」の懐へ帰ってきたことを感じただろうな・・と思ってみる。 朝一番8時過ぎに出かけたのにもうたくさんの人が来園されている。 戦争は終わってないのかもしれない・・と思う。 この場所も ヒロシマ・ナガサキと一緒で「平和」を語り継ぐ町だった・・・ 記念館の中には「岸壁の母」の詳細があってその前で立ち止まってしまった・・ 子供のころに耳にしたただの「歌」でなく・・ 今 大人になり・・妻であり母である自分が見るこの「岸壁の母」の前で涙をこらえるのが精一杯だった 歌のモデルだった端野いせさんは東京に在住されていたそうだけれど昭和25年から6年間の間 引揚船が着くたびこの港でわが子を探し続けたそうな・・・ このいせさんだけでなく・・日本国中からこの港へやってきて 夫を・・息子を・・「きっと帰ってくる」と信じてこの町で職を得たりし・・ 船が着くたび 岸壁で愛する人を探す女性が絶えなかったという・・・ 今・・もしも・・・・・・・だったら・・きっと同じことをするであろう同じきもちがわかるだけに 言葉に代えがたくただ胸を熱くし・・あの時代の女性を思った・・。 朝一番に行ったとき この公園をボランティアでお掃除してらっしゃる初老の男性に会った わたしたちや・・後から来た団体にこの港を即興で説明くださった・・ こんな人がいるからこそ・・・「伝わる」ことが・・どうにか保てているのかもしれない・・・ 頭が下がる。 そのおじさんが「写真を撮ってあげましょう・・・はいっ・・ここにたって・・」と次々指示・・(笑) わたしたち夫婦は言われるまま・・・(^^;)3箇所で撮影・・。 緊張した夫・・棒立ちのポーズ・・・^^ しっかし・・わたし・・・記念館へ行く格好じゃないよなぁ・・(ノ_<。)・・すみません。 まさか・・の場所でしたが・・ この旅で一番胸打った場所でした・・・。 ■赤レンガ博物館 舞鶴は日本有数の赤レンガの町といわれている・・そのレンガをテーマにした博物館がある 博物館だけでなく 町のあちらこちらにいまなお多くの倉庫や建物が建っている 残念なことに「赤レンガ倉庫群」がリニューアル中でテントに被われていて目に出来なかった 夜・・ライトアップしたこの赤レンガの街をもう一度訪れてみたいなぁ・・ ■とれとれ市場・・・やったかな?^^; 朝ごはん・昼ごはん兼用・・ブランチタイム いっぱいのお魚屋さんが入っていてどこのお魚やさんで買ってもその場で調理してくれ テーブルで食べることが出来る ビール飲みながら・・・ゆったりこの場所で休憩・・・ 一夜干のお魚などを・・・お土産に実家へ郵送・・・・。 next |